ゲートキーパーズ西へ!

 おいおい、機械将軍、ツィンメリットコーティングは直接的な攻撃に対しては効果ないと思うぞ。まあ、用兵者には技術的センスのない人も多いから、かえってリアルかもしれない。国防軍といった感じではないから(思想的背景から)武装親衛隊の将軍かもしれませんね。ペーネミュンデも末期は親衛隊に管理されていたと思います。カムラー将軍あたりにルーツが求め得るかも。悪魔伯爵はサンジェルマン伯爵がモデルでしょうね。
 突撃銃、小銃の一種であるが、小銃よりも弱装の弾丸を使用する。自動化されており、射程や命中精度よりも使い易さと発射速度を重視している。第二次世界大戦のドイツにおいて出現し、その有効性が認められ世界中で同様の銃が生産された。現在の小銃は全て突撃銃であると言っても良い。
 有機物と無機物、緑の地球と灰色の月に対比される、この物語の重要な要素。なぜこの基地の場所がやつらに。。。ええい!あんだけ目立っておいていまさら(突っ込み)。
 25年前に捨てた命だ。。。司令が桜花の特攻出撃から生還したことを指す。君たち若者には未来がある。それがどのような物になるのか、今はまだ誰にも判らないが。。。生きている限り、君たちは明日を目指し、時代をつなぐ努力をしなければならない。司令に突っ込みを入れつつも、この台詞には感動できる、凄く好きなせりふ。志なかばで散っていった、先人たちのためにも、こういった覚悟で戦後を生きた方は多かったでしょうね。
 多摩絶対防衛線、絶対というのはやはり、絶対であったためしがないので不吉。この回はアニメパートが3つもあって豪華です。笑えるけど、悲壮感もあり、最後は泣いてしまう極東支部攻撃シーンが非常に良いと思います。こういった感覚がWOWOWのアニメに反映されるといいなと思う。表題の「ゲートキーパーズ西へ!」の元ネタはもちろん「ウルトラ警備隊西へ!」当時、神戸に住んでいた小学生の私は、神戸港のシーンではしゃいでいました。


暗黒の塔

 太陽の塔といえば、小学校5年生の時の遠足で万博に行って太陽の塔を見上げながら、お弁当を食べたのを思い出します。私はその時風邪をひいて、それが元で、重い腎臓炎にかかり、長期の療養生活を余儀なくされました。太陽の塔はそういった少々ほろ苦い思い出があります。あの作品で岡本太郎はイッキに知名度が上昇しましたが、シンボルタワーが「高く」評価されていたかというと、どうもそういった印象はありません。ゲテモノという印象の方が、少なくとも一般の人には強かったような気がします。
 私が通っていた小学校の図工の若い女の先生は岡本太郎の弟子でした。しかし、子供達が何をやらせても、万博のマークと太陽の塔を書くので、しまいには「いいかげんにしなさい」と怒っていました。短気なんで子供には嫌われていましたが、なぜか私はお気に入りの生徒でした。当時は絵が好きだったし、小学校の生徒を対象とした美術展の常連だったんですね。先生は小学校6年生の時に、教師を辞めて海外に渡ってしまいましたが、どうなったのだろうと、時々思うことがあります。
 結局幽霊少女の正体って何だったのだろうか?今月のフィギュア王はケロヨン特集でした、太陽の塔の前でポーズするケロヨン。今見るとあんがいリアルなカエルに見える。デザインは切り絵で有名な藤城画伯だったのですね。
 死体を利用する、キャプテンスカーレットのミステロンみたいですね。影山零士、影で全てを無(零)に返すという意味か?


最後の戦い

 ゲート召還をする対象の女の子は無力なので、もう一人に護衛させなければならない。これは案外、酷い事やらせているのかも。
 不穏因子の排除、粛清とか赤軍の内ゲバみたいなもの。女の情報のおかげ、それがなければ極東支部の位置が判らなかったとは、敵も間抜けだなぁ。音楽の変化、戦いが盛り上がるほど、音楽は静かにもの悲しくなっていく、戦いの音楽、盛り上げればよい物ではない、戦っている人物の心理状態を示しているのだろう。
 影山のおいたち、もはや戦後ではないと言ったのは、確か池田勇人首相だったと思う。しかし、私が子供の頃は靴もはけないくらい貧しい家の子が存在していた。ニュータウンと川沿いの低地に学区がまたがっていた私の小学校は、貧富の差が特に激しかったような気がする。最初は戦災孤児かと思っていたのだが、確かに年齢が合わない。高度成長は多くの矛盾点を露呈した、多くの「運動」はその解決のために動いたのである。
 勝者の論理、基本的に理屈は彼のほうが正しいかもしれないと思う。


ゲートキーパーズ

 夜空に輝く月は美しい、しかし、それは静寂に閉ざされています。月には波の打ち寄せる水辺もなければ、谷を吹き渡る風の音もありません。
 月は約34億年前に火山活動がピークに達して、その後は冷えていくばかりでした。そして、10億年からこのかた、時々落ちる隕石以外は何も変化のない世界でした。コペクニクスやティコなどは、月では「ごく新しい地形」なのですが、その形成年代は前者が10億年、後者が2億年です。月の世界はこれからも永遠の美しさを残して行くでしょう。しかし、それはついに生命を生み出す事はありませんでした。
 一方で、地球のダイナミックなエネルギーと物質の循環は、常に地表面に変化をもたらしています。そして、それは永遠の形あるモノを失う代わりに生命を生み出しました。ゲートキーパーズという作品にしばしば登場した「月の石」は変化に乏しい月という生命の存在しない環境の象徴のように思えます。そして、それを持ち帰るアポロ計画は生物の進化の頂点に立っている人類活動究極の形の一つでしょう。
 変化によって新しいものを生み出すという事は古いものの消滅を意味します。生物のDNAは永遠に続く再生能力を失う代償として、新たな遺伝子を組み合わせて多用な子孫を将来に残す力を与えられました。生と死は裏表の存在なのです。最近は、この生命を生み出した地球環境も、ダイナミックさゆえに最終的には自壊する事が判ってきたそうです。
 最後の司令の言葉、そして俯瞰した地球にかぶさる月の姿のアニメーションから私が連想したのはこのような事でした。
 新しいもの、古いもの、生まれるもの、死に行くもの、男女関係さえもこういった変化と密接に結びついているのです。 いまだかつて、これほどスケールのでかい(大風呂敷を広げた)ギャルゲーがあったでしょうか?プレイ中は色々な馬鹿ネタででも楽しませてもらいましたが、エンドクレジットを見ながら感じたのは、作品の根底に流れている真面目な部分に触れる事ができたという清々しさでした。成層圏を飛行するX15から木刀で戦うゲームで、これほど感動できるとは思っていませんでしたね。(笑)
 というわけで、ちゃんとルリ子でエンディングを迎えました。やっぱり司令がいいなぁ。このゲームの歴史観って、わりと自分に近いので、なおさら感情移入できるのだろうと思います。ゲームのバカっぽい部分が最終的にゲームの真面目な部分と調和しているのが良いです。もっと、ヒットして欲しいですねぇ。とにかく、やれば面白いゲームだと思うのですが。


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