ヨタハチ特集 ウキヤとイクサワの物語 文/ブラックストーン
伝説の誕生
1965年7月18日、開設されたばかりの船橋サーキット、路面を見つめる一人のメガネをかけた細面の青年がいた。彼の名は浮谷東次郎、全日本自動車クラブ選手権レース大会に参戦する、トヨタのレーシングドライバーである。
CCC(カークラブ・チャンシオンシップ)と呼ばれたJAF主催のこのレースは、中止された第3回日本グランプリに変わるイベントであり、短命に終わった船橋サーキットのオープニング・レースでもあった。
彼が走るのは1300ccまでのGT−Iクラス。ここには、そうそうたるメンバーが揃っていた、浮谷が強く意識していたのは、友人で好敵手でもある、生澤徹であった。
直前まで降り続いた雨はコースをすっかり濡らしていた。不敵に笑う生澤の顔が目に浮かぶ、生澤自身はもちろんのこと、ホンダS600も雨のレースを得意としていたからである。そして、浮谷が駆るのは、発売されて間もないトヨタスポーツ800だった。
シンプルな空冷水平対向エンジンを搭載したヨタハチのリッター当たりの出力は57馬力。対するエスロクの「時計のような」と賞賛されたDOHCエンジンは94馬力、カタログスペックから見ればヨタハチに勝ち目はない。
しかし、浮谷は、少しも動ずることはなかった。確かにトヨタスポーツ800は非力である、しかし、この車には航空機技術者の果たせなかった夢が込められていた。風洞実験によってリファインされた空気抵抗の小さなデザイン、そして徹底的に軽量化されたモノコックボディ、事実、ヨタハチはエスロクより100kg以上軽かった。
それに、いつかは路面も乾く、その時が勝負だ、浮谷はトヨタスポーツ800の運動性能に賭けていた。ヨタハチはいわば地上の零戦であって、船橋サーキット一周2.4kmのツイスティなコースはその性能を発揮するのに最適な筈だった。
トヨタスポーツ800は、スタートで若干出遅れたものの、オープニングラップの第1コーナーで、早くも3位に浮上していた。
5周目、不幸な出来事が発生する。じっくり機会をうかがっていた浮谷がアタックしかけたその瞬間、スピンしかけた生澤のホンダS600に接触してしまう。浮谷のヨタハチは、まがったフェンダーがタイヤに食い込み、ピットインを余儀なくされた。
スプリント・レースでのこの遅れは致命的だった。浮谷がコースに戻ったとき順位は16位であった。その場にいた誰もが浮谷のレースはこれで終わったと信じた。
ところが、まだレースはこれからだと考えていた人物がいた、浮谷東次郎その人である。コースはほとんど乾き、トヨタスポーツ800が本領を発揮できる条件はととのっている、あとは追撃するだけだ。浮谷の駆るヨタハチは、凄まじい追い上げ態勢にうつった。独特の空冷エンジンの音がサーキットに響いた。
スタンドの観客は騒然とした、目の前に展開されているレースが信じられなかったのである。まさに鬼神のごとき働きとはこの事を言うのだろう。浮谷は事故を起こした車体で、この日のどのクラスのレースをも凌ぐラップタイムをマークし、そのすさまじいペースに次々と強豪達が屈服していった。
20周目にはいる頃、ついに2位となる。浮谷とトヨタスポーツ800の目標は、トップをゆく生澤のホンダS600であった。生澤にとっても、バックミラーに映るシルバーメタリックのヨタハチは信じられない光景であっただろう。
浮谷は24周目についに生沢をとらえた、最終的に19秒差という大逆転優勝である。
以下、「浮谷東次郎」(三樹書房・刊)(岩崎呉夫・著)より
ダークブルーのレーシングスーツを膝小僧までまくり上げ、黒く濃いすね毛が剥き出しなのだ。
はだしの足につっかけた、ゴミ捨て場からひろってきたようなゴム草履。
−−いつもの東次郎が、そこに立っている。
さて表彰。大きな花輪が、振袖姿のレースクイーンの手で、東次郎の首にかけられる。
そのとたん、スタンドから大声で野次が飛んだ。
「東次郎、賞金もらったら、靴を買え!」
3万5千人が笑いくずれる。拍手がわく。ゴム草履の東次郎にぴったりの野次。
だが、みんなは東次郎がいちはやくレーシングシューズを脱ぎ、それを大切にバッグにしまいこんでいたことは知らなかった。
「レースは半分、足の裏の感覚で勝負するんです。シューズのうすい底皮通しての感覚です。その感覚が、濡れることによって変わったとしたら……。なにしろ命の半分を託している底皮なんですからね」
当時記者だった岡崎宏司(現・自動車評論家)は、東次郎のことばをいつまでも忘れないでいる。
この日、日本の自動車の歴史に一つの伝説が生まれた。それは人とマシンが作り出した伝説だった。そして、それは浮谷東次郎の短い生涯における一瞬の光でもあったに違いない。
(注:生澤は正確には「イクザワ」と発音する。ゲートキーパーズの場合はヒロインの名前としての響きからイクサワを選択したとの事である。)
|
|