戦いの序曲

 ゲートキーパーズを購入した。さっそくプレイを開始する。原案、監督である山口宏さんの個性がどのように発揮されているか楽しみである。
 ベトナム戦争における1969年はひとつの転機でした、アメリカ軍が兵力の縮小を開始したのです。大きかったのは前年のテト(旧正月)攻勢で、油断していた南側はふいを突かれ、大きな損害を受けます。
 アメリカ側にとって衝撃的だったのは、サイゴンのアメリカ大使館が襲撃され一時的ではあるが占拠されてしまった事です。結果的には、南側の反撃は成功し、北側は大損害を受けて撤退し、南側のゲリラ組織も壊滅的な打撃を受けました。しかし、それまで盤石だと言い続けてきたアメリカの威信は大きく揺らぎました。テト攻勢は北側の戦略的勝利であったと言えるかもしれません。
 国内では厭戦気分が蔓延し、ソンミ村事件がそれを加速します。これが結果にベトナム戦争の南側の敗北に繋がっていくのでした。
 モーレツ、「オオ、モーレツ」は日石のコマーシャル、「俺は今、猛烈に感動している」は星飛雄馬、カタカナで書くとやっぱり前者であろう。
 ジョーのクロスカウンターは「あしたのジョー」ですね、ちなみに当時少年マガジンでは「巨人の星」と「あしたのジョー」を同時連載していました。しかし、俺が好きなのは、みなもと太郎の「ホモホモ7」だったりするのであった。ませたガキだ。
 ウルトラパワー、「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」などの放映で、ウルトラという言葉が非常にポピュラーになっていた頃。
 お願いだから、試しに「ついていかない」を選択したら、ルリ子にお願いされるループに入ってしまう。一応志願制なんだが、実際は強制じゃないか、さすが特攻隊出身の司令だなぁ。そういえば、ドラエモンの連載開始が1969年なんだそうです。先に触れた「ホモホモ7」は、もちろん007のパロディなのだが、ゴルゴ13とか、超人ロックのパロディが出てきます。劇画調とマンガ調の使い分けというのは当時のはやり。


君がゲートキーパーだ!

 航空自衛隊航空総隊司令部は府中にある防空指揮のかなめ、行ったことはないが、機能から言えばアメリカのシャイアンマウンテンの施設みたいなものなのだろう。BADGEシステムとはBase Air Defence Ground Environmentの略、ゲートキーパーズに登場するシステムは1980年代まで使用されていた。
 61式戦車とは、連邦軍の主力戦車ではなくて、戦後初の国産戦車である。リアエンジンフロントドライブという機構のために、正面にミッションの出し入れをする開口部があり、装甲鈑がボルト締めされているのと、風呂の煙突のようなマズルブレーキが子供心にカッコ悪く感じられた。採用時期からすると信じられない程車高が高く、戦車砲も貧弱で、あか抜けしないデザインだったと思う。ちなみに、搭載されたディーゼルエンジンは戦争中に開発された四式中戦車と同系統のものである。それでも、日本の戦車の代名詞として現在も一定数が在籍している。


初めての戦い

 視点変更が結構難しいですね、方向を定めるのに結構苦労します。バトルマップの変更がすぐに解除されてしまうのが困りもの。というわけで、PPKと地球防衛許可証を貰う。なんて、強引な司令なんだ!これで納得してしまう主人公も凄いが。というわけで、学園生活が始まる。
 ここまでやった感想は「凄く怪しくて、恥ずかしいぃ!」しかし、これもまた確かに昭和40年代のテイストでしょう。さて、誰を攻略しようか?
 秘密基地と言えば「サンダーバード秘密基地」これを買って貰えなかった経験がトラウマになっている私の世代の「男の子」は多いはずだ。ウルトラ防衛隊、ウルトラセブンならばウルトラ警備隊ですね。基地といえはもうひとつ、地下基地、サンダーバードで知られるITCのTVシリーズは地下基地が好きだった。一番極端だったのが、「海底大戦争(スティングレイ)」で、戦闘配置が司令されると、ビルが地下に潜っていくのである。考えてみれば、それだけの設備が大変だし、地下も空間の無駄であるのは明らか。その後は「作りつけの地下基地」が多くなったが、その場合は移動法がポイントになる。ゲートキーパーズは矢島正明氏のナレーションからも判るように「謎の円盤UFO(日本では1970年放映)」の影響が大きい。まあ、ネルフ本部も似たようなものだよな。
 エッチ、語源は良く判らないが、昔海軍で猥談の事をヘル談と言っていたのに近いのかも。ヘンタイから来ているという説もある。ウチの方では、女の子のスカートめくりをすると「バカぁ!エッチ、スケッチ、乾電池!」と言われたのであったが、これは地方差があるようだ。好感度が下がるのを覚悟で、隊長就任を断ってみると、今度はルリ子の大丈夫攻撃に、やはり、表向きは志願でも、実質は強制なのであった。赤いマント、白いマスク、赤いマントはスーパーマン、白いマスクは月光仮面?
 ワルサーPPKとはドイツの代表的な小型拳銃であるだけでなく、007の使用する銃としても有名。ただし、イアン・フレミングは銃器の知識が乏しく、その記述には妙な部分が多い。これは映画でも同じである。地球防衛免許証は007の殺しのライセンスとか、非合法丁稚の鑑札みたいなものですね。どことなく、往年のスパイ手帳を彷彿とさせるものもある。


新幹線大爆破

 たかが試作品のロボマシン、だったら、量産品を出してみろよ。結局、ドイツでも日本でも、戦場は戦う実験室になっちまうんだよなぁ。世界最大級の自立鉄塔東京タワー、昔は単純に「世界一」とかいうのが少なくて、色々と枕詞がついたんですね。東洋一というのが昔は多かったけど、最近は余り言いませんねぇ。それにしても、地球で一番重要な建築物、東京タワーを狙うとは!殺人電波、電波は現在も飛び交っているようです。
 メカニックの後輩はメガネという名字らしい。番長モノの子分キャラと、ハカセキャラを併せたような存在。○○でヤンスという台詞は子分キャラの定番。ウハウハ、記憶は定かでないが、これを聞くと「ハヤシもあるでよ」という台詞が浮かぶ。カレーCMだと思うんだけどなぁ。バハハーイ木馬座という着ぐるみ人形劇団のスター、カエルのケロヨンの別れの挨拶。TVでもやっていた。そうじのおじさんああ、ここに出ていたのか。
 イージスのパネル、数字のついた表示パネルはマッハGOGOGO!を彷彿とさせる。新幹線に偽装した怪ロボット、本当に偽装していたのだったら、司令はどうして判ったんだろうか?落合恵子、レモンちゃん、昔いたんですよ、深夜放送のパーソナリティに。当時の男の子のあこがれのお姉さん。今は、環境左翼のコワモテのオバサンになってしまったが。


東京タワー殺人電波作戦

 YS−11が21世紀まで飛んでいるなど、当時は誰も予想しなかったでしょうね。設計中にデハビランド・コメットの金属疲労による墜落事故が発生したので、かなりオーバースペックになったそうです、その代わり、10年もてばいいやというのが、30年過ぎてもビクともしていない、それどころかアメリカのエアラインではRRのダートをもっと高出力のエンジンに換装して延命しようという話もありました。
 ツィギーがもう40歳になったという、ニュースがかなり前にあったけど、今おとしはいくつなんでしょうかねぇ?イギリスのモデル、ミニスカートを広めた功者。スリムでちょっとボーイッシュな風貌はそれまでのグラマー美人の概念をうち砕くものだった。女の子が痩せる事に執念を燃やし始めたのはこの頃じゃないだろうか?私が高校生の頃は、長いスカートがはやりでしたが、時代は繰り返す。
 ジュンさん、体験入隊で戦闘のプロを主張するのはどうかと思いますが。昔は、結構自衛隊でも銃を撃たしてくれたそうですが、今だったら考えられない。麗子さんの「アメリカは自由の国」と操の「反動の国」という対照的な言葉に大笑いしました。小西寛子さんがボソボソいうのがかなりはまっています。
 植木等をスターにした無責任シリーズが大ヒット。しかし、考えてみれば無責任シリーズが面白かったのは、世間が基本的に無責任じゃなかったから、その対比が痛快であったのではないかと思う。今のように、世間が余りに無責任だったら全然洒落にならないぞ。
 アメリカ帝国主義、反動、反革命の策源地、当時の左翼及び進歩的知識人が相手を罵倒する時に使った枕詞。
 本を読まない方が、私からみたら、どうかして、文学少年、文学少女というのはもはや死語なのだだろうか?昔は誰もが良く本を読んでいた、まあ他に娯楽もなかったが。ウサギ飛び、スポ魂もの特訓の定番、昔やったがこれでトラック一周すると足腰が立たなくなる。グラマー、日本の女の子も当時は多少体格が良くなったが、控え目なのでトランジスターグラマーなどという言葉があった。作戦の選択、ジュンさんにとって、どっちもベストなのね。


中国からのお客様

 しぇ〜、おそ松くんに出てくるイヤミの台詞。腕と足を交差させて叫ぶ。一番流行したのは1969年よりちょっと前だが、当時の子供の写真を観ると(俺も含めて)この恥ずかしいポーズをやっている事が多い。あっと驚くタメゴロー、TV番組、ゲバゲバ90分に出てくるギャグ。パンダ、ブレークしたのは日中国交正常化の後だが、この頃すでに、ぼちぼち紹介されていた。レッサーパンダと混同している場合もあったみたいだ。
 象が踏んでも壊れない、当時、売り出されたポリカーボネード製筆箱の宣伝、確かに頑丈でゆっくりとした荷重には強いが衝撃には案外弱く、子供にたたき壊されて生涯を閉じた筆箱も多かった。中華料理、ラーメン、ギョウザ、当時は外食なんてする習慣はほとんど無かった、中華料理と言えばこのくらいしか確かに知らなかったと思う。
 キューブリック、2001年宇宙の旅が公開されたのが1969年、現在、最後の映画が公開されていますね。当時の2001年は夢のような遠い未来だったが、もう来年になってしまった。今はまだ...誰も評価していませんけど...きっといつか理解される日が、私がSFにはまったのもこの頃だ。ヤング、もはや死語ですねぇ。造反有理、文化大革命の時に紅衛兵が唱えたスローガン。


戻る 次